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第56回 I-Media情報バザール |
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日時: |
平成22年12月16日(木) 午後6時00分〜午後8時50分 |
講演: |
『南米パラグアイの魅力とビジネス交流の可能性』 |
講師: |
パラグアイ共和国 駐日特命全権大使 豊歳 直之 閣下 |
場所: |
※中野サンプラザ エトワールルーム(15F) |
パラグアイは南側をアルゼンチン、東側をブラジル、北側をボリビアに囲まれた、面積40万6752平方キロの内陸国で人口は約530万人。"超が付くほどの日本びいき"な国で、国連などの国際会議ではいつも日本の意見に賛成票を出し続けてくれています。駐日特命全権大使として田岡功大使(2004年〜2009年)に続き昨年からは豊歳大使と、2代続けて日系人を起用していることも、その表れかもしれません。では、なぜそれほどの親日国になったのでしょうか? 戦後、満州からの帰国者で日本人の住む先が不足していたころのことです。パラグアイのストロエスネル大統領は、日本人の受け入れを中南米で初めて認めてくれました。移住は1956年から始まり、1959年の「日本・パラグアイ移住協定」の元で増加し、7,000人近い日本人がパラグアイへと渡ったといいます。そして、与えられた原生林を必死に開拓し、機械化した農業で大豆と小麦の輪作に成功。それまで綿花が主要な輸出品だったパラグアイが、1980年代には大豆が輸出の4割にまで伸び、現在では7割に達しています。これは日本からの移住者の勤勉の賜物でしょう。昭和天皇は多数の日系移民を受け入れてくれたことを大変感謝されていらしたそうで、ストロエスネル大統領来日の際には、羽田空港で雨の中を傘で飛行機までお見送りをされたという逸話も残っています。2年前にI-Mediaで講演していただいた田岡前大使は、徳島県出身で14歳の時にパラグアイの南部にあるラパス移住地に移住して農業を中心に事業を行い、ラパス市長を務められた後に赴任されましたが、豊歳大使のご経歴はこれまた異色です。
渋谷区出身74歳。早稲田大学政経学部卒業後、旧大阪商船に勤務。1960年に退社してアルゼンチンに渡り、1969年パラグアイに移住。同国でトヨタ自動車の販売など幅広く事業を展開。パラグアイに9社、カナダに2社、アメリカとフランスに各1社、1000名以上の従業員を抱えるパラグアイ屈指の企業群「TOYOTOSIグループ」を形成する。パラグアイ日本人会連合会会長などを歴任。この間に、日本とパラグアイの文化を共に理解しパラグアイ社会の指導者を育成する目的で日本パラグアイ学院を創設、日系人子弟3割、パラグアイ人子弟7割のバイリンガル教育を推進する。大使就任に当たり、日本国籍を放棄してパラグアイ国籍を取得。昨年12月8日に天皇に信任状を奉呈。祖国での大使の任務は2年目を迎える。
母校・早稲田大学で開かれた歓迎会の出席者が、大使の印象をブログに記しています。
「パラグアイは日本企業の同国への投資を歓迎すると共に、パラグアイ産品の輸出振興に協力を要請したい、と熱っぽく語った先輩はすっかりパラグアイ大使に成りきっていた。… 散会して外へ出ると、大使は同方面に帰る後輩2人とTAXIで帰途に就いたのである。これには驚いた。この大使は公私混同を嫌い、大使公用車は使わなかったのだ。兎に角、パラグアイはファースト・クラスの人物を大使として送り込んできたのである」。
母国との懸け橋たらんとする日系人大使。そのお人柄と心意気に直接触れることができるのが
楽しみです。(加藤和郎)
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タイムテーブル: |
18:00〜18:10 |
オープニング |
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バザールマスター 加藤和郎 |
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18:10〜19:10 |
ゲスト 講演 |
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『南米パラグアイの魅力とビジネス交流の可能性』
パラグアイ共和国 駐日特命全権大使 豊歳 直之 閣下 |
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19:10〜20:50 |
情報バザール |
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お飲み物など片手に、気の置けない交流会です。
参加メンバーの紹介を含め、時流に沿った話題や情報など “おとっときの話”が飛び出します。 |
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